明日の見方

明日(未来)を知るために過去と現在を知ることが大切です。

政治への信頼が問われている

昨年7月から1年以上サボってしまった。なんとなく書く気を失ってしまっていた。
だが、物思わざるは生きていないも同然。60歳を目前にして、今更あんまり頑張るつもりはないが、また再開してみようと考えた。

サボっている間に、昨年11月の突然の衆議院解散で安倍自民党政権が誕生し、今年7月の参議院選挙の結果ねじれ国会も解消し、日本の政治状況は一変した。デフレからの脱却を掲げた日銀の異次元緩和による円安と株高効果も寄与し、景気も少しづつ上向き始めている。

しかし、当然ながらこの程度の成果で良しとする訳けには行かない。
むしろこれからが安倍政権の真価が問われる。先日のオリンピック招致のプレゼンで首相が見えを切った福島の汚染水処理の問題一つをとってみても、実際上は相当な政治エネルギーが必要である。安倍首相には途中で逃げ出さずに覚悟をもって必ずやり遂げるべき課題である。

安倍政権が問われる真価とは、別の言い方をすれば、政治に対する国民の信頼である。日本経済の長期に亘るゼロ成長を指して失われた10年とか20年という表現が用いられる。だが、本当に失ったのは実は経済成長率ではなく、政治への信頼である。日本は今、それを取り戻せるか否かの分岐点に立っている。

財政再建と社会保障政策、外交と安全保障政策、TPP、エネルギー政策、規制改革と成長戦略等々、日本の行く手には大きな改革が待ち構えている。日本は新しい構想力と哲学を必要としている。言葉の力とそれを支える政治への信頼が未来を拓く新しい力なのだ。

全国各地の高裁から今年相次いで示された違憲判決にもかかわらず、衆院における一票の格差是正に真剣に取り組まない政治を国民が信頼するはずはない。この点に関して、今のところ安倍政権並びに自民・公明の与党から積極的な動きは見られない。真に残念至極だ。

証券市場の信頼とブランド


大手証券3社が相次いでインサイダー問題を引き起こした。

問題の背景としては、株式市場全体がバブル崩壊以降、長期に亘って低迷し続けた結果、上場企業が公募増資を実施すると、その直後においてほぼ間違いなく株価が下がる事態が繰り返されて来た事にある。

本来、公募増資そのものと株価の関係は中立的である。例えば、バブル崩壊以前においては公募増資は株価上昇の材料と見なされていた。公募増資と株価の関係は、要は、投資家が、公募増資を行った企業がそれによって当該企業の成長が高まると判断するか否かで決まる。

残念なことに、最近は先行きに対して心配性な投資家が圧倒的に増えてしまった為に、公募増資は自動的に売り材料となってしまった訳だ。

狡賢い投資家にとって、こうした謂わばパターン化した市場の動きは格好の儲けの材料になる。公募の情報をあの手この手で事前に入手し、企業が発表する前にその株を売れば簡単に儲ける事ができる。今回、発覚した3社のインサイダー問題は全てこれだ。

海外のヘッジファンド、日本の機関投資家が証券会社に公募増資の情報を事前に自分のところへ持ってくるように競わせ、情報提供の見返りとしてその証券会社に注文を出していた。

そもそも機関投資家にしても証券会社にとっても、証券市場は自分達の大切なビジネスの基盤である。その大事な基盤を、自分の利益の為にこんな風に荒らしてしまうとは、情けないし、本当に格好悪いとしか言いようがない。

そして毎回見慣れた光景として、社長以下、経営トップが記者会見を行い、申し訳ないと頭を下げる。二度とこのような事を起こさないように社員のコンプライアンス教育の徹底と、再発防止策を約束する。

だが、こんな事で不祥事が無くなるなどとは、誰も思っていない。何故ならこれまでも不祥事が起きるたびに経営者は頭を下げてきたし、規制も強化されてきたが、そんな事はいたちごっこにしか過ぎない。

ではどうすればよいか。少なくとも経営トップが、責任の取り方だけは格好良く決めてみたらどうか。
1987年、英国のカウンティ証券が不祥事を起こした時は、その責任を取って親会社のナットウエスト銀行の頭取が辞任した。何もそこまでしなくてもいいのではないかとも感じるが、同時に、こうしたすっきりしたけじめのつけ方がシティの信頼とブランドを守ってきた事も事実だ。

日本の政治から目を離すな

去年も一昨年も、5月になると欧州が不安定化する。二度ある事は三度。
今年はギリシャとフランンスの選挙が引き金となった。

ギリシャの総選挙で緊縮財政を推進してきた連立与党が大敗し、
フランスも財政再建派のサルコジ氏に代わり、オランド新大統領が政権に就いた。

その結果、欧州のソブリン・リスクに対する懸念が強まり、ここ下、小康状態にあった世界の金融市場は、
またしても不安定な動きとなってしまった。円高が進み、株価は再び9000円を割ってしまった。

だが、そもそもユーロ諸国の財政問題は10年、20年という長い時間軸の中でしか解決しない問題である。
しかも欧州の人達は海千山千で、したたかである。この程度の揺り戻しや、紆余曲折は当然なのだ。
ユーロは右に左に揺れながらも収まるべきところにやがて収れんして行く筈だ。財政再建とその遠い先の財政統合に向かってユーロは既に動き出していると見るべきだ。

先週、民主党の小沢氏は消費税反対を改めて主張し始めた。
ギリシャとフランスの選挙結果を見て、やはり消費税増税では選挙に勝てないと鋭く感じたのだろう。
いかにも選挙第一主義者の小沢氏らしい。

しかし、周知のように、日本の財政状況は、既に、ギリシャよりもさらにひどい状況になってしまっている。
消費税反対論を主張するならば、具体的な対案をしっかりと示すのことが、日本の未来に責任を持つ大政治家の責務だ。
きっとまともな対案なんてないのだろう。
消費税増税に自らの政治生命をかけると野田首相は言った。ならば、こうした身内からの揺さぶりに屈することなく、その実現に向けてまっすぐ突き進んでもらいたく思う。しばらくはじっくりと政治の動きを見守る必要がある。


泊原発停止に想う

北海道電力の泊3号機が停止した。これで日本に存在している全ての原子力発電所の稼働が止まった。
これは十分予想された事ではあるが、問題は今後、日本の電力供給がどうなっていくのか、全く目処が立っていないことだ。

原発は、東日本大震災が発生するまで日本の電力供給の3割を占めていた。その穴はぽっかり空いたままだ。

この際だからと言う事で、脱原発を掲げるのも大いに結構だ。だが、空いた穴をどうするのか、誰がどの様に負担するのか、きちんとした説明をするのが政治と行政の責任である。

どんなことにもプラスとマイナスの両面がある。それをまじめに聞くことが国民としての責任である。

しかし、そもそも国として、この大事件に対してどう対処しようと考えているのか全く情報がない。どこかでまじめな議論がされているとは思うが、それすらも伝えられてこない。メディアも一体何をしているのだろうか。

最近は、失われた20年と言うそうだ。バブル崩壊後の景気の停滞を「失われた10年」と言っていたが、停滞期間がどんどん伸びてしまったからだ。だが、電力を巡る今の動きを見ていると、それすらかなり楽観的に聞こえてしまう。

いつまでも宙ぶらりんで、ふわふわした情緒的話しか聞こえてこない現状は極めて危い。
国民が選択した訳でもないままに、いつの間にか「失う」事だけはもう懲り懲りだ。

モノ作り日本の伝統が泣いている

日本のモノ作りを支えてきた電機業界が不振にあえいでいる。パナソニック、ソニーの2大メーカーはビジネスモデルの再構築を加速させている。こうした中、先週はシャープが台湾のホンハイ精密と資本提携するというのニュースが飛び込んできた。「シャープよ、お前もか」という感じだ。

日本勢がどこも総じて不振になっている理由としては、円高進行と国内需要の縮小、家電量販店に価格決定権を奪われた事、それに韓国、台湾企業の躍進などが挙げられている。どれも尤もな理由だし、確かに事業環境がこんなに厳しければ、誰がやっても利益など出せる訳けはないと思う。

だが、モノ作り大国を自負してきた日本の代表的な企業が、こんなにも簡単に総崩れになるなんてやはり情けない気がする。しかも事業が儲からないからと言ってすぐに撤退を決めたり、海外に生産をシフトする動き目立つ。熟慮の上の経営判断の筈だが、どこもワンパターンの対策ばかりだ。

ロジカルでクールな経営には違いないのだが、モノ作り日本としての暑い情熱、こだわり、したたかな計算、創意工夫。そういう経営者の気迫が足りない気がする。

随分と昔の話だが、スイスの時計産業は日本メーカーとの競争に敗れ、ぼろぼろになった。だが、いまや新ブランドもいくつか生まれ、産業として立派に再生を果たしている。時刻の正確性や、多機能性などでは日本メーカーの方が今も優れている気がする。しかし、デザイン性、ファッション性、腕時計本来の魅力など、新しい価値観を消費者に提供し、それが消費者に支持される事で見事に復活してきているのだ。

競争力はコストと性能だけではないのだ。ソニーなら徹底的にかっこ良さを追及して欲しい。パナソニックはかわいらしさ、やさしさ、心配りといった感じ。とにかく電機メーカーはもっとモノ作りに執着して、歯を喰いしばって頑張ってもらわないと、それこそモノ作り日本の伝統が泣く。

東日本大震災一年で思う

東日本大震災から今日で丁度一年が経過した。午後2時46分、小生も家族と一緒に黙祷。

それにしても利害調整に手間取り、真っ先に、かつ迅速に行わなくてはならない瓦礫の処理すら、思うように進んでいない現状を見せつけられると、悲しみと同時に怒りさえ感じてしまう。先月2月10日、復興庁が正式に動き出した。だが、一体何をしているのだろう。大した議論もなく同庁は霞が関に設置された。やはり場所は被災地が適切ではなかったのか。

更に言えば、震災の復旧・復興に加えて、原発を今後どうするのか。日本のエネルギー政策をどうするのか。そして日本にとって極めて重要な経済インフラである電力業界をどうするのか。国は私達に何も提示していないし、そもそも議論が行われているのかさえ、良く分からない。

残念ながら、この一年間、こうした日本の政治・行政の危機対応力の無さを私達国民は見せつけられてきた。
何故、こんなにお粗末な国になってしまったのだろうか。日本は既に成熟した先進国だから、何事につけ決めるのに時間が掛かってしまうのだ、という見方がある。本当だろうか。否だ。

では民主党が悪いのか。それは一面正しい。が、自民党だって全く同罪なのだ。官僚も決して褒められはしない。
96年、自民党の橋本政権以来、行政改革という錦の御旗を掲げ、政治家は日本の官僚制度を一生懸命、破壊してきた事が今に繋がる根っ子の問題だ。行政改革と言うと、一般的には、行政の無駄を省くなど何か良い事をしていると理解されていると思う。しかし実態は、政治家と官僚の権力闘争ということなのだ。

普通の庶民が気が付かないところで、日本の政治と行政は10年以上も足の蹴り合い、内ゲバを続けてきた。その挙句に、政治主導を掲げた民主党政権が誕生して、政治と行政の関係はもはや修復不能の状態になったという訳だ。震災が起きる以前に、政治と行政という国家運営にとって大事なインフラが破壊されていたのだ。しかも、この破壊は目に見えないだけに一層性質が悪い代物だ。

ならば私たち国民はどうすべきか。簡単な答えなどない。AIJではないが上手い話には乗ってはいけない。瓦礫の処理と同じように、一つ一つ、粘り強く、着実に、未来を信じて、一歩づつ前進し、そして、もっと多くの事を学習し、逞しく、賢く成長していくしかない。










ミャンマーの経済発展とアジアの未来


 ミャンマーが驚くべきスピードで変化し始めた。

 2010年11月に総選挙を実施し、1962年以来の軍事政権からようやく脱却。その後も民主化の象徴であるスーチー女史の軟禁解除、民主化運動家の釈放など、矢継ぎ早に政治・社会体制の変革を進めている。

そして、昨年12月にオバマの命を受けたクリントン国務長官がミャンマーを訪問。
民主化の取り組みが国際的にも謂わば認知される段階にまで進展したことを印象付けた。

 日本も昨年末あたりから、玄葉外務大臣、枝野経済産業大臣などの主要閣僚や、経済界のミッションが相次いでミャンマーを訪問している。世界の流れに乗り遅れまいとかなり前掛かりの動きを強めている。

そもそも第二次大戦中はミャンマーは日本の占領下にあったし、日本とミャンマーの繋がりは深い。さらに1950年代ごろまで、首都ラングーン(現在のヤンゴン)はタイのバンコックなどよりもずっと豊かで洗練され、インドシナ半島屈指の国際都市として繁栄していた。長い軍事政権下で、経済的にはすっかり周辺国に取り残されてしまったが、人口6000万弱、鉱物資源に恵まれ、インドと中国の丁度、間に位置し地政学的な重要性が高く、ポテンシャルは高い。

だがミャンマーがこの先順調に発展していくために解決すべき課題は山積している。先ず、電力、鉄道、道路、上下水道など、発展の基盤となるインフラは極めて劣悪だ。こうした情況を改善するには日本を始め西側諸国の大規模ODA再開は必須条件だ。

そのためには、ミャンマー側も自ら開発・発展プランを一刻も早く示し、それを実現するための法律・制度・組織等、海外からの投資受け入れの為のソフト・インフラを整備する必要がある。こうした面での知的支援を日本としても積極化していくことが重要である。

発展途上国の経済発展には政治の安定が欠かせない。ミャンマーの民主化が政治の安定につながるか否かはまだ未知数だ。急速な経済発展は、汚職、腐敗、利権政治に繋がり易いもろ刃の剣だ。政治不信が強まれば、せっかく始まったミャンマーの経済発展が損なわれるばかりではなく、アセアン全体が域内に大きな不安定要因を抱え込むことになる。

 日本とアセアンは既に運命共同体だ。ミャンマーの安定した発展なくして、今やアセアンの発展はない。日本がこの先、ミャンマーに対してどう係わって行くか。アジアの将来はその一点に依存していると言っても過言ではない。