明日の見方

明日(未来)を知るために過去と現在を知ることが大切です。

東日本大震災一年で思う

東日本大震災から今日で丁度一年が経過した。午後2時46分、小生も家族と一緒に黙祷。

それにしても利害調整に手間取り、真っ先に、かつ迅速に行わなくてはならない瓦礫の処理すら、思うように進んでいない現状を見せつけられると、悲しみと同時に怒りさえ感じてしまう。先月2月10日、復興庁が正式に動き出した。だが、一体何をしているのだろう。大した議論もなく同庁は霞が関に設置された。やはり場所は被災地が適切ではなかったのか。

更に言えば、震災の復旧・復興に加えて、原発を今後どうするのか。日本のエネルギー政策をどうするのか。そして日本にとって極めて重要な経済インフラである電力業界をどうするのか。国は私達に何も提示していないし、そもそも議論が行われているのかさえ、良く分からない。

残念ながら、この一年間、こうした日本の政治・行政の危機対応力の無さを私達国民は見せつけられてきた。
何故、こんなにお粗末な国になってしまったのだろうか。日本は既に成熟した先進国だから、何事につけ決めるのに時間が掛かってしまうのだ、という見方がある。本当だろうか。否だ。

では民主党が悪いのか。それは一面正しい。が、自民党だって全く同罪なのだ。官僚も決して褒められはしない。
96年、自民党の橋本政権以来、行政改革という錦の御旗を掲げ、政治家は日本の官僚制度を一生懸命、破壊してきた事が今に繋がる根っ子の問題だ。行政改革と言うと、一般的には、行政の無駄を省くなど何か良い事をしていると理解されていると思う。しかし実態は、政治家と官僚の権力闘争ということなのだ。

普通の庶民が気が付かないところで、日本の政治と行政は10年以上も足の蹴り合い、内ゲバを続けてきた。その挙句に、政治主導を掲げた民主党政権が誕生して、政治と行政の関係はもはや修復不能の状態になったという訳だ。震災が起きる以前に、政治と行政という国家運営にとって大事なインフラが破壊されていたのだ。しかも、この破壊は目に見えないだけに一層性質が悪い代物だ。

ならば私たち国民はどうすべきか。簡単な答えなどない。AIJではないが上手い話には乗ってはいけない。瓦礫の処理と同じように、一つ一つ、粘り強く、着実に、未来を信じて、一歩づつ前進し、そして、もっと多くの事を学習し、逞しく、賢く成長していくしかない。